抽象と具体の架け橋

できることを増やすために様々な活動をしています。誰かの新しい挑戦の糧になれば幸いです。基本的に月・木更新です。

精神年齢

精神年齢という言葉がある。

肉体の年齢は時間の進行と共に自然と、強制的に、前に進む一方で。
精神の年齢は自分の経験、考え方によって積み重ねが表現される。

そんな、精神年齢の一つの見方として「我慢」を通してみてみた記事を書いてみた。
大人になり切れない、不安がある。人の参考になれば幸いだ。

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導入

世の中には色々な誘惑がある。

儲け話、性的な話、出世の話、楽な話、若返る話

 

そこで「誘惑に引っ張られながらも、自分が本当に守りたいものを知っていて、そのために我慢ができる」

それが、精神年齢が大人になっていることとして考えてみてたい。

 理解

とはいえ、なにが守る側になるには、どんな経験が必要なのだろうか。
私は、守られる経験と、若い執着心だと思う。

守らるという経験と、自分の執着した対象を守るという経験が、我慢をするという動機につながると考えている。 

 具体的には 

  • 精神年齢未就学児のときは、かまってもらう経験が大事だ。
    守られるという立場を経験する必要がある。
  • 精神年齢が小学生のときは、何にでも興味を持つ経験が必要だ。
    自分の執着対象を見つける必要がある。
  • 精神年齢中学、高校生は、葛藤する経験が大事だ。
    執着心が守るという立場と、我慢の動機になる。
  • 精神年齢20代は、認められた世界で調子に乗った失敗をし、反省をする経験が大事だ。 自分の実力を知っていることが、次の一歩につながる。

どこかで止まってしまっている気がする人の参考になれば嬉しい。

 

Sany.